LA SIESTE

2017年10月11日水曜日

Imperfection




インスピレーションの元になるものって、
実のところ「不完全」なものなのだと思う。
「不完全」であるからこそ、それおぎなおうという
力がはたらくのであって。

「完全」なものって、
それによって満たされ、満足するので、
インスピレーションにはなりえないと思う。

私は、昔っから自分には音楽をつくる才能がないなあ、と
思ってきたのだけれど、
それは、音楽が自分にとって「完全」な存在だから
なのだと思った。
ほとんどの音楽は「完全」に素晴らしいものなので、
わざわざ、自分で作る必要がないと認識しているのだ。

完全じゃないものだから、
それをおぎなって、自分に必要な、
「満たしてくれるもの」を
「作ろう」という気持ちになるのだ。
世の中で、「天才」と呼ばれる人たちも、
それの極端な例なのではないだろうかと思う。

今トップになってるこの扉絵の
西遊記の漫画を描いてるとこなんだけどね、
なんで描こうと思ったかと言うと、
原作の西遊記をみたとき、
これ、自分にとって「不完全」な物語だと思ったから
なんだと思う。
まず、三蔵ってキャラクターが
唐で一番偉い高僧とは思えないほど、
人間的に未熟な人物だと、子供心にも思ったこと。

この人、なにかにつけて悟空の言うことを信じずに、
叱ったり怒ったり破門してばっかりいる。
妖怪にだまされて、
悟空が人殺ししたと信じてしまったときもひどかった。
急にあらわれた妖怪の言葉なんかよりも、
どうしていつも一緒にいる仲間の方を信じてあげられなかったのか。

あんたは、いっつも悟空に助けてもらってるのに、
その「大事に思ってもらってる気持ち」をわかってない。
これでは悟空がかわいそう。
これがまず、子供心に感じた違和感。

天界を荒らしまわった暴れ者というわりには、
悟空の方が精神が落ち着いている。(年の功なのか)
それに、お師匠さんにやさしい。
そういう、悟空の根の優しさを、
三蔵はどうして見抜けなかったのか、と思う。

仲間を信じることってね、
実は、自分の「目」を信じること、
そして、自分の「実行力」を信じるってことだ。

何があっても仲間を信じ抜くことって、
実は、100パーセント相手を信じるだけではなくて、
そこには、裏切られたとしても構わないという
覚悟もある。

だから、自分の相手を見る目と、
そして、たとえ裏切られても、
相手を引き戻すという、自分の力を、
信じるってことになる。
それは、強くないとできないこと。

そういう強い絆を見たい、って
思ったんだよね。

悟空は、
私にとって、わりと完璧な存在だった。
でも、一人ぼっちの悟空が、
いちばん与えてもらいたがってた愛情を、
与えてくれる人物がいなかった。
だから、悟空はいつも孤独に見えた。
 
性根から理解し、
あたたかく包み込んでくれる人が、
どこにもいなかった。

よそよそしく、道徳観念を押しつける相手じゃなくて、
信心深い良い子じゃなくて、

ただ、あたたかい相手。

そんな相手がそばにいたら、
悟空は、どんなにか良いだろうって思ったんだよ。







DeviantArtで描いている
シャーロックのファンコミックも、
ふと気付くと、結構な量を描いてしまったことに気付いた。
このドラマも、
やはり私にとって、「不完全」なものなのだろう、と思う。

私の漫画の方のジョンとシャーロックもね…、
安定してお互いのことを信じているのだと思う。
何があっても、お互いの相手を疑うことはないのだろうと思う。

これは
二人が、とても「強い」ってことだよ。








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